Higashi-Ikebukuro Taishōken

山岸一雄は、1934年(昭和9年)に長野県中野市で生を受けた。 戦争で早くに父を亡くすも、一家の主として母親と妹の面倒を見続け、中学校を卒業後に上京した。 17歳の時、山岸は、向島で旋盤工としての腕を磨いていた。 職人になるべく、先輩にも社長にも期待をされていたが、ある日、慕っている従兄弟の兄貴(坂口正安氏)が突然訪ねて来て言った。『一緒にラーメン屋をやらないか』兄貴の熱い想いに惹かれた山岸氏は、阿佐ヶ谷・栄楽でラーメン修行を始める。 東池袋「大勝軒」の特徴である『自家製麺』・『手塩にかけたスープ』の基礎を築き上げながら、1951年(昭和26年)、兄貴と共に独立し創業。中野「大勝軒」を立ち上げる。 売上を順調に伸ばし、1954年(昭和29年)には代々木上原「大勝軒」を出店。この代々木上原「大勝軒」を本店とし、中野「大勝軒」は支店として山岸に任された。 味を模索し続けていく中で、つけ麺の元祖である「特製もりそば」を考案するに至る。 「特製もりそば」というメニューがある。 つけ麺の元祖とされており、東池袋「大勝軒」の山岸一雄が考案したものだ。 東池袋「大勝軒」は、1961年(昭和36年)に

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山岸一雄は、1934年(昭和9年)に長野県中野市で生を受けた。 戦争で早くに父を亡くすも、一家の主として母親と妹の面倒を見続け、中学校を卒業後に上京した。 17歳の時、山岸は、向島で旋盤工としての腕を磨いていた。 職人になるべく、先輩にも社長にも期待をされていたが、ある日、慕っている従兄弟の兄貴(坂口正安氏)が突然訪ねて来て言った。『一緒にラーメン屋をやらないか』兄貴の熱い想いに惹かれた山岸氏は、阿佐ヶ谷・栄楽でラーメン修行を始める。 東池袋「大勝軒」の特徴である『自家製麺』・『手塩にかけたスープ』の基礎を築き上げながら、1951年(昭和26年)、兄貴と共に独立し創業。中野「大勝軒」を立ち上げる。 売上を順調に伸ばし、1954年(昭和29年)には代々木上原「大勝軒」を出店。この代々木上原「大勝軒」を本店とし、中野「大勝軒」は支店として山岸に任された。 味を模索し続けていく中で、つけ麺の元祖である「特製もりそば」を考案するに至る。 「特製もりそば」というメニューがある。 つけ麺の元祖とされており、東池袋「大勝軒」の山岸一雄が考案したものだ。 東池袋「大勝軒」は、1961年(昭和36年)に

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